2009年09月13日

石の桃

peaches-0908.jpg
コンパクトなデジタルカメラも3台目。自分の眼球の水晶体はどんどん濁って視力が落ちてしまって情けない有様だが、カメラの精度は益々上がって怖ろしいほどだ。1000万画素を超えたところで、何か別の次元に入った感じがする。例えばこの二つの桃。右が石の桃。左が生の桃だが、相当硬質に撮れている。中央に何もない構図でも、勝手に焦点を合わせてくれる。何より軽いのが嬉しい。
しかしながら、何もかも望む以上に緻密に撮れてしまう事には、少々疲れてしまう。実際私達の眼はいい加減で、見たい物を見たいように見ているだけなのだから。耳だって何かに気をとられていると全然聞こえないのだし。
昔は、それらしく見える事にどんなに苦労しただろう。光をとことん研究した画家のフェルメール然り。映画監督ルイ・マルは「死刑台のエレベーター」の中で、夜のパリの舗道を表現する為に、昼間レンズを絞ったり、道に水を撒いて撮ったりだの、手の込んだ工夫(確か映画用語で「アメリカの夜」という方法)もあったらしい。
その後、技術が人間の欲望を簡単に実現してしまうと、リアルな事にそれ程執着しなくなるのも必然なのだ。全く遠近法を無視した絵画や、ストーリーのない小説、音そのものを置いてゆくタイプの音楽が新鮮に感じたりしたのも、どこかで感覚の平衡を保つ為の本能的な反発なのだろう。
やはりこのリアルすぎる桃には、紗をかけなくては。
posted by TERADA Mariko at 01:16| 日記